尊厳なる観劇と戯曲と傍観の魔女により厳選されし名誉ある図書の都に現れた、二つの扉。

もうすぐ最後の儀式が執り行われ、俺のゲームは、終わる。

 

同じドアをくぐれたら


    なぁ縁寿、もう分かってるよな。

目の前のドアの先に進むということは、過去の操り人形であったお前が糸を切り自らを解放するということ。
それがこの扉のもう一つの鍵。

自分の意思で前へ進むことを決めたからこそ、この扉が開くことを。お前は理解しているはずだ。

 

今回の"Twilight"で見せた世界は一度拒絶されたものの、彼女に真実より大切なものを気づかせることが出来た。
優しかった伯父や伯母、祖父やいとこ、そして両親に触れて、
ここに残っていたい気持ちが生まれてしまったかもしれないけれど、それでも彼女は前に進むべきなんだ。
だって過去を振り返らなくても、俺達はすぐ傍に居る。そういう魔法を縁寿は知っている。
立ち止まる未練ではなく、反魂の魔法を心に宿して進む未来の魔女には振り返る必要など無い。

 俺はふと、自分が用意した二つの扉を見やる。
この扉を用意できても、俺にはそのどちらの扉もくぐることは出来ない。
扉のこちらと向こうには、彼岸と此岸、「過去の魔女」と「未来の魔女」の見えない境界線。
「一緒に扉をくぐれたら」なんて思ってしまうこともあったのだけれど。

 俺は縁寿に近寄り、そっと手に鍵を握らせる。
一度はこの鍵で絶望を開いた。だが今度開かれるのは、希望。
「…落ち着け、縁寿。簡単な問題だ。…一番いい選択肢を選ぶにはどうすればいいか、
……一番最初にお兄ちゃんが言ったことを覚えてるか…?」
「……………。」縁寿は目を瞑り、少しだけ笑う。
大丈夫だ、この子は間違えない。そう確信した。

「戦人よ、ヒントが過ぎるぞ。未来の魔女エンジェ卿の凱旋である。そなたは見送るだけに留めよ。」
フェザリーヌがぴしゃりと遮る。だけど心なしか笑顔は優しかった。兄妹の会話を邪魔するつもりではないらしい。

それもそのはずである。だって彼女はこの先も、何処までも優しいのだから。

 

 

 

 

俺は思わずヒントを出しすぎたことを恥じるように頭を掻き、もう一度縁寿に向き直った。

 

 「お前はもう俺に手を引かれているだけの6歳児じゃない。
自由になった両手で扉を開けることができる、18歳の俺の大切な妹なんだ」
 
 向こうの世界の「十八(わたし)」は自分の妹として受け入れてくれるかは分からないが、
「戦人(おれ)」にとっては同じ血を通わせる立派な自慢の妹として心に刻んでいるから大丈夫だ、と心の中で続ける。
 当然、これから未来を歩む縁寿には言えないことだ。

八城十八と寿ゆかりが会う事もまだずっと先のこと。

 

 

「ありがと」縁寿は柔らかく微笑む。
「私にとってお兄ちゃんは、いつまでも優しい自慢の兄よ。また会えるって、信じてるから。」
ほら、こんなにも未来に進もうとしている彼女に教えることは、レールを敷いてしまうのと同じことなのだから。
敷かれたレールの上を歩く未来の魔女だなんて、滑稽な話ってもんだ。
 再会を果たすことになるのなら、彼女自身で模索した人生の先にあって欲しい。


「…では、行くぞ。」ベアトが静かに、それでいて威厳のある声で縁寿に告げた。

親族や幻想の住人たちまでもが固唾を飲んで見守る。
最後の儀式、そしてハロウィンパーティーの最後の出題。
でも、俺は不思議と安心していた。彼女の先ほどの笑みが物語っていたからだ。

 ベアトは空っぽの左手を見せ、それを握り人指し指をぶんぶん振り回す。それにつられて縁寿も必死に頭を振る。
ゲームの中で6歳の縁寿が寸分変わらぬ様子だったのを思い出し、
いきなり腕と頭を振り回す二人を見て何事かと目をぱちくりさせる親族とは反対に、俺は思わず噴き出した。

 そしてベアトは腕を振り下ろし、開いた右手に乗った飴玉を見せて縁寿に言った。

  

 

 

 

 


「これは、手品か、魔法か。それが、妾から与えられる問題である。」

 

 

 

 

 

  縁寿に迷いは無かった。出題されてすぐに、俺達に背を向け、扉の方へと振り向く。笑顔のまま。
あぁ、やっぱりお前にはそれが一番似合う。最後にその顔が見られてよかった。
過去に囚われ俯いていた少女の面影はない。
 

ゆっくりと、確かな足取りで扉へと歩いてゆく。
先ほどのベアトの出題の時は幼い妹の姿を映すことが出来たのに、
堂々と歩くその姿は昔の、桜並木で俺に手を引かれながらおぼつかない足取りで歩いていた
幼い妹のそれとは、重ならなかった。

 

『おにーちゃんのてあったかい!えへへ、えんじぇずーっとおにーちゃんのてにぎってたいっ』
『いっひっひ!縁寿だって大きくなったら彼氏と手ぇ繋ぐようになるんだぜ?
 そんときゃ俺に紹介しろよ!…まぁ、まだお兄ちゃんが許さないけどなっ』
『いーもん!えんじぇおにーちゃんとてつないでいるだけでいい!』
 

 

数少ない、ほんの一握りの俺と妹との思い出。

―これからは俺に手を引かれることも無ければ、一緒に歩くことも、もう無い。

 

 

「これが、私の答えよ。」
そういって縁寿は鍵を捻り、扉を開いた。


彼女が選んだのは、『魔法』。

俺の役目は、これで終わった。
ありがとな、縁寿。お兄ちゃんもう思い残すことはねぇや。
…なぁんにも、な。

 

「ありがと、………みんな」

そして、歩き出す。未来の魔女の凱旋だ。
未来へと歩き出した背中に親族達が思い思いに声をかけ、図書の都が温かい声で包まれた。
俺も縁寿に最大の声援を送る。
 

振り返るな。「右代宮の鷲は振り返らない」。
悔やんじゃいけない。縁寿自身が選んだ未来だ。
そしてどうか恐れないで。きっとお前の選んだ世界の空気は温かいものだから。

「どうか、元気で」

 
俺は自分自身に呆れる。頬から涙が伝っているのに気がついたのだ。
後ろを振り返らず歩く妹からは、見えない。
そんな強い妹の姿がぐにゃりと歪む。


…何だよ、俺。情けねぇ。何を今更。兄バカにも程がある。
これじゃ…

 

 

―これじゃ俺、二度と縁寿に会えないみたいじゃねぇか。

 

 

 そりゃ確かに今まで腹違いの妹だと思っていて心のどこかで距離を置いてた。
新しい家庭の中で血の繋がらぬ邪魔者が縁寿と兄妹ごっこなど、
霧江さんにも、…親父にも申し訳ないと思ったから。
そしてそれは違うと知った時、もっと傍に居てやるべきだったと後悔したし、居てやりたいと思ったさ。
…だから正直を言うと、一緒に行ってやれないのが、心苦しい。

 

   だけど、実際にはこの数十年後に、俺と縁寿は再会することになるんだぜ?
(でも、それは戦人(おれ)じゃない)
彼女にも言った通り、いつでも傍に居る。カーテンの向こう側の世界に行ってしまうだけなんだよ。
たった一枚のカーテンの向こう側に。
(でも、隔てられたまま)
心は、痛まない。
(俺が痛めたら、彼女はいつまでも前に進めない)
だから俺は最後まで「元気に見送る兄」のままで見送る。
(これでよかったんだ)
 

 

縁寿はどんどん扉の先にある未来の眩しさに包まれて、光に溶けていく。
未来が克己した縁寿を歓迎している様にも思えた。
俺はその姿が見えなくなるまで、声をかけ続けるのをやめない。
いつまでこの声は届くのだろうか。もはや届いていないのかもしれない。
それでも彼女が寂しくないように、幸せな未来に辿り着けるように。
 

流れる涙は止まらないけれど、縁寿の向かう未来には「右代宮戦人」として居てやれないけれど。
その涙と引き換えに、記憶と引き換えに、彼女は進める。未来へ。
俺の「過去に俯いていた妹が未来を切り拓いていく」という、兄としての願いが叶うのだ。

縁寿の姿は少しずつ消えて、辛うじて見えていた影は光に吸い込まれた。
同時に図書の都に黄金の風がざぁっと吹いて、親族達が黄金郷へと帰っていく。
 

 

図書の都の天井は高く、濃紺。そこから降り注ぐ黄金の花びら。

それはまるで、海の底しい閉じられた小さな猫箱に手向けられた黄金の薔薇が優しく解けるような光景だった。

何故だか俺には思い出の中の桜並木の花びらのようにも見えて、幼い縁寿の声がまだ聞こえるような気がした。

 

 

『えへへ、えんじぇずーっとおにーちゃんのてにぎってたいっ』

 


この手は、空っぽ。彼女は空いた手でこの先何を掴み取るのだろう。そんなことを思った。

そしてゆっくりと閉じる。扉を、猫箱を。

 

閉じられた扉には妹を見送った俺の姿ではなく、優しく微笑んだ白髪の男性の姿がふっと映った気がした。
俺はその男性の姿に触れようとしたが、その瞬間には手を伸ばそうとする自分の姿があるだけだった。
「私」は「俺」じゃない。「俺」は「私」じゃない。改めて感じさせられた。

…老けたな、「お前」。

俺もやれることはやった。もうすぐ「俺」の出番は終わり、舞台の幕を下ろして永遠の眠りにつく。
最後に出来ることは、ひとつ。

 

 

そっと手をかざす。
さっきまで空を舞っていた黄金の雪がいっせいに集まり、扉に黄金の文字を刻んでいった。
そう、きっとこれはエピローグ。Twilightの舞台の上に立つ駒が、観客である縁寿に語りかける最後の言葉。
 

Cara la mia sorellina,Ange
 

Il colore del cielo vi avvolgeranno in qualche modo, di essere gentile blu.
(貴女を包む空気の色が、優しい青でありますように)
   
 Ci vediamo di nuovo. buona giornata. 

Da Battler.

 愛があれば海が青く視えるように、縁寿の居る世界が愛に満ちれば、空だって青く視えるのだ。
大丈夫、だって先ほど図書の都に親族が吹かせた風ですら温かい。
そして彼女自身、白き魔法を知っていて、後に子供達に伝えていくことになるのだから。
一身に愛を受けた彼女が、それを広めていく。
 
 

縁寿、お前を取り巻く全てはこんなにも温かいんだぜ。何も怖くない、寂しくなんかないんだよ。
 ここから先のお話も辛く、悲しいお話じゃないんだ。
でもそれを紡ぐのはお兄ちゃんじゃない、今度はお前が紡ぐんだ。
実はそのお話の中には… きっと驚くだろうな、お前の願いが形を変えて叶うんだぜ。

―今の彼は自分が登場人物だと自覚していないけれど。
 
 でも会えるから。お前が心に魔法を宿している限り、絶対に。
そのときまで、「シーユーアゲイン、ハバナイスディ」。

 

 

La sua storia finisce qui,e che porta alla storia di una ragazza.

(彼の物語はここで終わり、そして少女の物語へと続く)

言い訳のようなあとがき。

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